江戸方面から鵜沼宿へ入るには、「うとう峠」を越える必要がありました。
「うとう」とは、山と山との間を意味する言葉だそうです。
うとう坂の中腹には、この峠で盗賊に襲われて命を落とした小田原宿の喜右衛門の菩提を弔うための石碑があります。
この石碑の右側には、「うぬまへ拾六丁」、左側には「太田へ壱里廿丁」と刻まれており、道標の役割も担っていました。
市内に現存する唯一の一里塚が、うとう峠を西側に下ったところにあります。
江戸から数えておよそ100番目となるこの塚は、直径10メートル、高さ2メートルの大きさで残っています。
南側にも対になる塚がありましたが、戦時中陸軍の兵舎が建てられたことにより、半分以上が崩れてしまっています。